平成3年、地元荒島地区のの森脇操氏が大阪府岸和田市の大威特寺にある(重要文化財)多宝塔を模して、10年の永い歳月をかけ、自力で円光寺の山頂に建立されました。
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久白暗渠
明治期に干ばつで悩まされた久白町の人々が、2年かけて東西2箇所、合わせて270mトンネルを掘って農業用水を通しました。今でも約38ヘクタールの水田が恵みをうけています。
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日白神社
創建は不明ですが、古い棟札に慶長14年(1609年)の銘があります。昔、神社の前が船着き場であったと伝えられています。
田頼川
昭和初期まで「ごにゃごにゃ川」と呼ばれていました。「ご内緒川」がなまったものとされ、安来の港に卸す鉄を内緒でこの川を使って船で運び売買したとの言い伝えがあります。
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鑿渠(さっきょ)之碑
国正寺境内に建つ久白暗渠建設の業績を表した記念碑。久白地区住民が総力を傾けて取り組んだことなどが伝えられています。
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荒神社
入口の両側にある石柱は、昭和五十七年まで国道9号沿いにあった荒島小学校の校門に使われていたものです。
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広瀬電鉄跡
昭和3年から35年まで荒島〜広瀬間(8.3km)を25分で結んでいた。線路跡は、現在県道広瀬荒島線になっています。
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梨の原木
農事試験場跡地に残っている梨の木は、台木用の「ニホンヤマナシ」です。今でも梨の栽培に利用されています。
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仲仙寺板碑
頂部を山形にして、身には「南無阿弥陀仏」が彫られています。鎌倉〜室町時代に建てられたと考えられています。
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合併記念碑
現在の西荒島町が、昭和23年に八束郡意東村(現在の東出雲町意東)から分離し、能義郡荒島村に合併した記念碑です。
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角家の本霧島
角敏夫さんの裏山の斜面に、挿木から大切に育てられたキリシマツツジ200本余りが階段状に植えられており、春には火が燃えているような真っ赤な花が咲き誇ります。
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若塚古墳
古墳時代終末期(7世紀頃)の古墳。荒島石で作られた石室が開口しており、古墳の上には祠(じゃこづかさん)が祀られています。
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角家住宅
国登録文化財。明治期に建てられた豪農屋敷で、ひさしの上などに海鼠(なまこ)壁をしつらえるなど豪壮な外観が特徴。
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加藤家の大椿
加藤勝人さんの玄関前庭に、樹齢200年近くになると思われる高さ1.2m・幅7×6mの2本からなる椿の名木があり、春には八重のピンクの花が咲き誇ります。
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大成古墳
古墳時代前期(4世紀頃)では、造山1号墳とともに全国最大級の古墳。三角縁神獣鏡など豪華な副葬品が出土しました。
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荒島港
明治時代には荒島・松江間の定期便が通い、また荒島石・米・炭などの積み出しや赤貝などの漁業で賑わっていた。
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