参勤交代の道

賽の神

賽の神

交通の要所で、ここから六本の道が分かれていました。
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六部塚供養塔

六部塚供養塔

六部とは全国を巡回し、法華経を奉納する人で、相模の人が元文四年(1739年)に荒島で亡くなったと記されています。
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千貫井戸

千貫井戸

富くじで千貫分当てた人がここに水茶屋を建てたと言われています。今も水くみポンプが残っています。
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渡り橋

渡り橋

中海の水がひたひたで素足で渡ることができたので渡りという。「雲陽誌」(1718年)によれば、2間半の板橋があったという。
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養琢(ようたく)堂

養琢(ようたく)堂

うさぎ山の下にある石像の観音が納めてあるお堂。元禄17年(1704年)の銘が見られます。
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日形神社・月形神社

日形神社

この当たりは海が荒れ狂ので荒島と言われ、家は押し流され、 田畑の野菜も流され住民は大変苦しんだ。そこに黄金の兎が現れ、 日と月の神様にお願いするが良い、この神は、荒波を鎮め人々の難儀を お守りして下さると云って姿を消した。
荒島の人々は早速日形大明神(天照大神)月形大明神(月読命つきよみのみこと)をお祀り しお祈りをしました。あれほど荒れ狂った荒波も治まり平和な日々が続く様になつたと云う。 月形神社の一画には松江藩の建札を建てる場所があり、その向かいには参勤交代時に藩主が駕篭(かご)を 止めて休憩する場所があったと伝えられています。

※(月読命は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなびのみこと)から生まれた 月神様で、天照大神と兄弟神様になり、月を見て歴を司る神で蒼海原を司る神様です。

月形神社
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郡札(こおりふだ)観音堂

郡札(こおりふだ)観音堂

神宮寺の額がかかっているお堂。前庭に立ててある石碑に寛永15年(1638年)の年号が見られます。
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出江怒(でえぬ)地蔵

出江怒(でえぬ)地蔵

昔この場所は石切場で、石が崩れ死者数名を出した。そこでこの地蔵が祭られたという。
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一里塚跡

一里塚跡

明治9年の荒島村の地図に「小字一里塚」の地名が見えます。現在は痕跡も無くなっています。
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懸岩(かけいわ)地蔵

懸岩(かけいわ)地蔵

江戸時代の絵図にも描かれている、岩山そのものが地蔵堂となっています。中のお地蔵さんは、荒島郵便局の隣に移っています。
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桜地蔵堂

桜地蔵堂

地蔵尊には、元禄13年(1700年)の銘が見られます。
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猪子塚歳徳神

猪子塚歳徳神

数体の地蔵尊があり、一体には享保21年(1736年)の年号が刻まれてあります。
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